あの頃のこと(19)勝ち負けの行方

モーガン・フリーマンとクリント・イーストウッドの組み合わせは特別すぎて…。わたしはそれだけで反省モードになってしまうほどです。

父(モーガン・フリーマン似)が、スポーツのコーチや監督、審判をしていた影響を、わたしも受けていると思います。これは、あとで気づいたのですが、うちは、もしかしたらスポーツの観方がよそのお宅とは少し違ったのでは?と感じることがあるのです。

例えば、父は週末ほとんど家にいませんでしたが、冬ならマラソンの試合を録画して、帰宅後、その全てを観ていました。勝敗の結果は既に知っているのに、「全部を観ないと、レースの流れや勝ち負けのポイントがわからんからな」と言うのです。確かにそうです。メンタリティも含め、選手の状態や勝ち負けの経緯を観察するのは、父にとっては当たり前の「研究行為」でした。

わたしはと言えば、特に訓練したわけではないのですが、高校生の頃には、相撲のほとんどの勝敗を立合い前に予測できるようになっていました。力が拮抗している場合は判断が難しかったり、取り組みが始まってから、力士の身体から出る「力光線」に変化が生じる場合もあるのですが、それでも当時の勝敗的中率は9割を超えていました。
力士に関するデータはないほうがわかるのです。あれこれ知っているとバイアスがかかり、
期待が生じてしまうため、的中率は下がります。(だから、今はかなり低下しています。)

なぜ、相撲はわかりやすいのか?それは、力士たちがほぼ裸で、武器を持っていないからです。相撲の次にわかりやすいのは、レスリングや柔道。同じ1対1の競技でも、剣道になると面を被っているせいか、急にわかりにくくなります。
裸に近い状態である水泳はどうか?五輪などでハイパフォーマンスが出るときには、選手の上半身が輝いて見えます。ここでも、やはり「力光線」の存在を感じます。おそらく生き物としての何かが発せられるのでしょう。

この話をすると、よく「競馬は?」と訊かれるのですが、競馬は馬と騎手の掛け算なので、わたしには予測できません。馬の様子だけなら、パドックで見れば何とかなると思うのですが…。

スポーツを観るというのは、父やわたしにとって、「貴重な情報を収集する重要な機会」。これは、「応援」とは別の視座で行うことで、今もわたしが継続している(やめられない)習慣のひとつなのです。

(つづく)

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